言葉遣いの話してみます。

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1976年にロッキード事件っていうものがあったのです、大規模汚職事件です。その中で、小玉なんとかさんが国会で槍玉に挙げられたのです(すみませんが、私はよくはわかってません)。
国会の答弁で、その小玉さんの発言が私にはものすごく関心があります。
その方こう発言されたのです。
『記憶ございません!』

最近の政治家の責任逃れの常套句はこうだと思います。
『記憶ございません!』
この助詞の使い方の違いです。『』と『』です。

前者は記憶がない!と言っているのです。記憶がない、覚えてない、というのは人としてよくあることです。また忘れるということは人間として、必要なこととも言えます。私なんか、都合の悪いことは片っ端から忘れていきます。
それに引き換え『記憶にございません!』はなーんか主体を『私』から『記憶』にごまかしているような気がするのです。それは、より巧妙になったとも言えるのてすが、私にはなーんかスッキリしないのです。

より巧妙になった、で済めばいいのですが、ちょっと心配します。

日本語ってとにかくよくできてると言うのか、繊細です。一個二個三個、一本二本三本、一匹二匹三匹、1日(ついたち)、二日(ふつか)、三日(みっか)や14日だけ「じゅうよっか」とか24日だけ「にじゅうよっか」とか、楽しいが楽しそう、うれしいがうれしそうなのに、かわいいが「かわいそう」になったり、下や生でも読み方がたくさんある、ひらがなやカタカナ、また漢字もあったり。

日本に来てる留学生、たいへんだと思います。もう少し日本語優しくすべきではないでしょうか?

日本の将来を、日本語のあり方から憂います。

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